

――――こんにちは。
こんないいお天気の日に、というのがいつもの決まり文句なんですけど、でもね、本当に今日はいいお天気の日で、暗い所でのトークショーですが(笑)、どうぞよろしくお願いします。
――――『星の王子さま』が、日本語では「マンガ」ですが、フランスでは「BD(ベーデー)」といいますけど、そういうものに生まれ変わって、本当に面白い良い本が出来ました。……「見てください」と言ったら話が終わっちゃうんですけどね。だから今日は難しいなあと思って。
―――(観客 笑)
――――どこから話しましょうかね。
最初にこの話を聞いたのは、僕がジョアン・スファールというこのコミックを描いた人をよく知らないときに……、3年くらい前かな、その頃はまだフランスに住んでいて、「テレラマ」というヴィジュアル雑誌があるんですが、そこで『星の王子さま』がBDになるという記事とサンプルが載っていて、それを見たのが最初の出会いでしたね。
で、「へえ、こんな風になるのか」と思って、しみじみ見ました。
まず、あの『星の王子さま』が他のものになる。つまり、サンテックス自身の挿絵の入った、あの本ではなくて、別の形態になるという……。
芝居はあるんですよ。パリでずっと昔から「星の王子さま」を上演しているところがあって、それは僕も知っていて……それから、ジェラール・フィリップが朗読しているレコードですね。それも結構流布していた。だから最初に本があり、それからレコードとか芝居とかがあって、そこまでは何か分かる…。
――――で、次は何か?
映画にするには全然無理だろうという気がしていて、だけど、言われてみればコミック(BD)という手があったな…と。
――――じゃあ、どこまで変えるか?
サンテグジュペリの絵のまま動かしたとしても、出来なくはないだろうけど、それはなんというか遠慮がちの、「動かしてみました!」というもの以上に多分ならない。
テレラマを見た時の僕の印象は、「こんなに大胆なことがやり得たんだな」というものでした。でも、それはまだ一部(サンプル)を見た時の印象で……。
ストーリーがどう作り替えられているか、とか、じゃあ台詞はどうするのか、ということはまだ、分からなかったんですね。
――――そして、それが一冊の本になったとき、「やっぱり面白い!」と思いました。
もちろん、原作が永遠の傑作『星の王子さま』です。永遠の傑作として、古典としてずっと残るに決まっている。あれを誰も読まなくなるなんてありえない。もう大丈夫と言いますかね、そういうところまで来ている。だけど次の段階として、BD化という大胆な試みがあっていいわけだし、そうすると、これは相当うまくいった例だなと、僕は思いました。
一昨年の夏かな、僕が日本に帰ってくるのと前後して、日本語の翻訳を出せないかという話が浮かんでは消えて、(紆余曲折して)そのうち、ちゃんと具体的に出しましょうという話が固まって、それから僕は翻訳を始めたんですね。

――――(そういう経緯で)翻訳を始めたんですけど、最初は正直に言ってタカをくくっていました。つまり、かつて僕は全部訳しているんだから…と。(集英社版『星の王子さま』池澤夏樹訳のこと)原文と突き合わせてみると、スファール自身が作った部分も2割くらいありますが、王子さまと語り手との会話の部分は、文章については、原文をそのままはめ込んでいる。したがって、「日本語版でも僕の訳した会話文をはめ込めばいいのかしら」と、とりあえず、そう思ったんです(笑)。
――――ところが、実際に入れてみると、全然イメージが違う。
フランス語の場合は、原文をそのままはめ込んだだけで、うまく流れが出来ていて(筋も)わかるんだけれど、日本語にすると、僕が以前書いた翻訳の文章は、そういう扱いに耐えられない。はっきり言えば、固すぎる。お行儀が良すぎる。
――――それで、この「星の王子さま バンド・デシネ版」自身の印象が、ぐんと変わりました。元の上品でおとなしそうな、それでいて、ものの考え方が洞察力に満ちた、哲学的なことを言う不思議な子ども。それはそうなんですけど、スファールはそれをもっと、いきいきと動く! しゃべる! 走る! 元気な子どもに作り変えました。そうするとやっぱり言葉づかいが違うんですよね。
それで、一旦、僕自身の前の翻訳は忘れて、その場その場に合った翻訳をしました。しかもワンパクですからね、こっちの子どもは!
――――たとえば22Pの右下で飛行機の下で2人で寝ているシーン

←このページの「それはおっかしいね!」という口調は、やっぱり今までの翻訳の文章だと使えないわけですよ。
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――――そういうことが一事が万事。でもそれで「言葉がいきいき!」するようになったし、コマの流れに載せて、ぽんぽん言葉が出てくるような感じになった。この作業をしながら、これは、何かに似てるな、と思ったんですけど………それは映画の字幕なんです。


――――僕は世の中にひとりだけ、特別な約束で結ばれている映画監督がいます。ギリシアのテオ・アンゲロプロスという男なんですけど、テオの映画が日本に来るときは、映画の字幕は全部僕が訳すという約束になっています。それは、彼のデビュー作、「旅芸人の記録」という、1975年に彼が作って、(僕はその頃ギリシアに住んでいたので、ギリシア中で大評判になったのを覚えています)3時間52分という長い作品ですけど、その「旅芸人の記録」が日本で79年に公開されるときに、僕が字幕を作ったんですね。現代ギリシア語って出来る人があんまりいなかったから、自動的に僕に白羽の矢が立って、またそれが日本で大ヒットしたので(よくあんな難しい映画を、あの頃の日本人は見てくれたと思いますが)、それ以来、アンゲロプロスの映画の字幕は全部僕がやっています。
――――字幕の仕事というのは何か、と言いますと、非常に限られた字数の中で、非常に複雑な事を、しかも映画を観ている人の邪魔にならないようにすっと差し出さなくてはいけない。
――――これは普通の翻訳とまったく違う技術ですね。
意味が伝わればいいのではなくて、たとえば短い台詞は短く訳さなければいけない。映画の中で一言だけの台詞を、長く説明的にやってはいけない。リズムがあるんです。映画では、何コマだったら文字にしていくつ、という決まりがあります。だから字幕を作るときには、最初に台詞ひとつひとつを計って、このシーンでこう言っているのは何コマ、という表(スポッティング・リスト)を作るんですね。
――――ギリシア語のシナリオがあって、台詞が書いてある。そして、その横にコマ数が書いてある。それを文字数に換算して、それ以上は増やさないようにする。というルールがある。ところがね、ギリシア語っていうのは語尾変化が複雑で、人称代名詞を使わなくても通じてしまう。
日本語だと相当凝った言い回しになる「きみが彼に言ったことはこのこと?」 なんていう台詞もギュッと圧縮して言えてしまうわけです。だけど日本語の場合、この言い回しに「きみ」と「彼」という言葉を入れないと通じない。とても困るんですね。
――――しかもね、テオの映画というのは、ず――っと沈黙しているんですよ。延々と静かな風景があって、ヒョイと人の顔が出てきて、一言喋って、また、ず――っと静かになってしまう。これが、喋りっぱなしの派手な会話だと、一か所で落とした分を次へ組みこんだり出来るんですね。最近あまり出てこないけど、エディ・マーフィーみたいに喋りまくる映画はセリフ数が多いけど、入れやすいんですよ。だからテオの映画は難しくて、字幕作るといっても、俳句のようなところがある。受け取って、一瞬にしてポンと渡す。それが上手なのは、字幕の名人と言われている、今なら戸田奈津子さんとか、昔なら清水俊二さん、秘田余四郎さん、ですか。彼らは、英語やフランス語の達人である前にやっぱり日本語の達人で、俳句的に圧縮された、しかも余韻のある表現がうまいんです。
――――僕はテオの映画だけでしたけれども、それを経験していて、この翻訳をしながら、そのことをずいぶん思い出しました。長い文の所もあるのだけれど、それも整理して読みやすい形にしないといけない。だから、ざっとした翻訳のリストを作って、それを絵と突き合わせながら、「ここは何文字入るんだろう?」「もうちょっと入れてもいいかな」とそれを実際に入れてみて、あぁ、はみ出しちゃった、と削ったり、そういう作業でひとつずつ話の流れに合わせて、1コマずつ作っていったんですね。その作業はどっかで知ってるな、としたら映画の字幕だったというわけです。
――――最初に浅はかにも、もともとのこちらの台詞を入れればいいや、と思ってやっていたのと比べると、全然違うものになりました。だから、この本は、まったく別の新しい『星の王子さま』だと思ってください。

――――それにつけても、スファールは上手いなと思った理由のひとつは......今僕は、字幕と言いましたけれど、彼自身が映画に対して強い関心があって、カンヌ映画祭の長いレポートをイラスト付きで作っていたりしています。それから、5月21日から公開された「ゲンスブールと女たち」という映画は彼自身が監督です。この映画は星の王子さまの可愛いらしい感じと違って、ジョルジュ・ゲンスブールというユダヤ系の人気のあったシンガーソングライターの伝記で、彼がいかに女にモテたかという話だから、『星の王子さま』と同じつもりで、子どもを一緒に連れて観に行ったりしてはいけませんよ(笑)
―――(観客 笑)
――――ジョアン・スファールは、映画に対する関心が非常に強い。そして映画に詳しくて、だから、この『星の王子さま』についても、ずいぶん映画的技法を使っていると思いました。せっかく映画の話だから、画像で見てみましょうか。

――――ここから先、映画的展開を3ページほど見ていただくんですけど、こうやって2人がいて対話をしている。ここで「キミの絵を描くんだ、水彩でね」といって描いているのがいちばん有名な、いちばん気取った格好いい星の王子さまだろうと思うんです。

――――この本を、カメラの位置を気にしながら、カットがあったり、ズームアップがあったりするという感じで見ていくと、いかにも映画なんです。
この4コマ目から、ここは本当に動きがくっきり見えて楽しい。

――――こういうところは原作にはなかったところで、コミックだから出来ることだなと思いました。

―――― コミックを作る上で一番大事なものはキャラクターだけれども、スファールがどうやってキャラクターを作ったかをサンプルで見ていきましょうか。

←これが本来の星の王子さまですね。さっき「キミの絵を描くんだ、水彩でね」といったシーンで思い浮かべるのはこの絵だと思います。しかし、目の前にいるワンパクな王子さまとはずいぶん違う。
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同じようにして、ふたつのキャラクターを並べてみますとね、これは例のバラの話ですね。バラの所についたてを立ててやってる、風がこないように。わがままなバラだから。サンテックス自身、結構絵がうまくて、知っている友達の顔をカリカチュアにして遊ぶということをやっていて、それで大きな画集が出ているんですけど、『星の王子さま』の場合は、そんなにカリカチュアめいたことをしないで、わざと一種稚拙な、素朴な絵を描いている。だからバラにしたって、紙をくちゃくちゃっと丸めたような感じ以上ではない。そんなリアルなスケッチをしていない。
それが次の画像のように変わってしまう。

これはもう典型的な悪女の姿です。
わがままで男を振り回して…、勝手なことを言って…、しかも後ですまない気持ちにさせるという……
―――(観客 笑)
だけど、彼女の側にも(彼女なりの)誠意があって、それなりの愛し方をしていたのに、そのことは後になって分かる。後になって、王子さまは彼女を置いて旅に出てきたことを悔みますね。その意味で言えば、バラと王子さまの間には、しっかりとした愛があったことが伝わるようになっています。
よく言われるのは、(僕は半分くらいしか信じていないですが)バラと王子さまの関係が、サンテグジュペリと彼の妻であったコンスエロという奔放なアルゼンチン女性、この2人の関係に重ねられることが多い。王子さまが地球にやって来て、ヘビと出会って、(地球に来た理由を)「ある花との仲がこじれちゃってね」という言い方をする。全部ついついサンテグジュペリの人生に重ねて読み取りがちで、さほど違っていないけれど、そう読んだところで大事なことは伝わらない、とは思います。
――――星の王子さまについて解釈が一番難しい部分がバラとの関係です。
でも、バラをこんな風に派手にキャラクター化すると、ある意味、それが分かるような気もする。

▲さて、これは王様です。サンテックスの絵では、しょぼしょぼで情けないような王様なんですけど、それがスファールの絵になりますと、次の画像ぐらいグロテスクになる▼
――――(観客 どよめき)
――――「よくやるよ(笑)」と思いますよね。だけど、こういう強烈な戯画化によって、この王様自身が持っている中身が見えてくる。うまいからくりだと思います。これはやっぱりスファールが、絵にする、あるいは、カリカチュアにする、自分の筆の力について自信があったからだろうと思うんですけど。

――――これはビジネスマンで足し算ばっかりしている男ですね、ここまでくると、スファールは人間として扱いませんね。
▼こうなってしまいます…。

―――(観客 笑)
――――顔さえ見えない。ビジネスマンになって数字ばかりいじっていて、星のことを星とさえ呼ばない。そんなのは人間じゃない、と。批評的なアダプテーションというか、その結果がコレだろうと思うんですね。

――――あるいは、キツネ。
これは、王子さまと友だちになって、飼い慣らされて親しくなって、大事な言葉を伝える場面です。この中では、語り手のサンテックスとキツネが最も王子さまと仲良くなる。愛し合うようになる。そういう意味で大事なキャラクターです。
▼それがスファールによると、こんな風になる。

フェネックと言う砂漠に住んでいるキツネです。とにかく実際に仲良くなって、くっついて抱きあっている様子も描かれています。


―――あと、ついでに2枚だけ飛行機の絵をお見せしておきます。これは、シムーンといって、サンテグジュペリ自身が乗っていた型の飛行機です。パリからサイゴンまで当時の最短記録で行くという懸賞のかかった飛行で、サハラ砂漠(リビアあたり)で落ちてしまうんですね。これは実物を見てきちっと描いています。確かこの飛行機はどこかの博物館にあるんです。スファールはそこにいって、操縦席に潜り込んで、きちっと座ってみたと書いていましたね。そうしたら、とても狭い。
サンテックスは、185cmくらいある大柄な男ですから、よくこんな狭い所に乗って操縦が出来たものだと感心しています。そういう点では、コミックにするというのは具体物と付き合うことですから、本物をちゃんと触って、モノの感じというのを確認したうえで、やってますね。

―――最後にもうひとつだけ、飛行機。
これは実は1944年7月31日にサンテグジュペリが乗って、地中海へ偵察飛行にいって、そのまま帰ってこなかった、そのときの飛行機です。
P-38 ライトニングというアメリカの大型戦闘機の偵察機型という…まぁ、サンテックスの最期の時というのは色々と説があるのですが、ドイツ空軍に撃墜されたといって、そして(僕が落としたと言って)名乗った男もいるんだけれども、どうもそれではなくて、事故あるいは、自殺という説もありますね……ともかくこれに乗って帰ってこなかった、という最期の時を示すために、スファールはこの飛行機を丁寧に描いています。
画をお見せするのはここまでにしましょう。
(スライドを見ながら語る池澤氏)
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