星の王子さま バンドデシネ版 公式ホームページ

 



――――ジョアン・スファールはどういう人物なのか?
この本の袖にも書いてあるのですが、生まれたのは1971年、だからまだ40歳ですね。若くて、ものすごく才気がある。他にもヒットしたBDの本がいくつもあります。それから、ユダヤ人です。ユダヤ人であることを誇りに思って、それを生きていく上での柱のひとつにして、正々堂々と生きているようであります。それもお母さんがウクライナで東の方のユダヤ人ですね。お父さんがアルジェリアですから、これはイベリア半島系ですかね。
ヨーロッパのユダヤ人は文化的にも血統的にも東のアシュケナージと西のセファルディムに分かれるんですが、彼は両方の血を引いている。若い時にはユダヤ教をきちんと勉強して、実際に信仰として持っているかは分かりませんが、非常にユダヤ人であることを大事にしている。

――――この『星の王子さま』のコミック化ですけど、普通だったら、あれをコミックにしたいと(コミックにする側が)申し出る。あるいは映画化の場合もそうですけど、原作者にその旨を映画会社が申し入れて、許可をもらって、それから始める、というのが普通の順番なんです。
たとえば、僕が書いた小説を「映画にしたいから」と申し入れてきて、監督と会って話をして「じゃあ、やってください」、そして「これからしばらくの間、同じ作品について映画化の話が来ても、あなたに優先権がある契約をしましょう」といって待っている。僕のところにはそういう映画監督とのオプション契約が4,5本あるんだけれども、どれも全然実現しない(笑)。
難しいんですよ、映画化は。ほんとに。(僕の作品は)一見、映画にしやすそうで、やってみると意外に大変という罠みたいな部分があるらしくて。

――――ところがこの場合は、コミックにしようという話が、スファールの側からではなくてサンテックスの遺族の方から来た。つまり、「他ならぬあなたを見込んで提案するんだけど、『星の王子さま』をコミックにしてみませんか?」と。
それで、スファールは自分が今までやってきたことを考えてみて、(当然、相手は自分が今までやってきた仕事を知っていて頼んできているわけですよ)、そして改めて『Le Petit Prince』というものを読み直してみて、できると思ったんでしょうね。
それは、ただ単に本をコミックに移し替えるのではなくて、自分の中にあるものと、それからサンテックスにあるものとをぶつけて、新しいものができるという自信があって始めた。そして、それは実に上手くいきました。

――――僕がこの仕事を引き受けて翻訳して、自分なりのことをして色々工夫をして、出来上がってみて「あぁ、うまくいったな、面白い仕事だった」と思った理由のひとつ。

――――それは原作から出発して、原作から遠い所へ、ちゃんと辿りついていて、しかも原作にある大事なものが全部残っていることです。

これは、映画の場合でも芝居の場合でもコミックの場合でも、そう。つまり原作というものがある芸術についてはいつもそうなのですが、成功すればそうなるんです。
本来、持っているものを絵に移すだけなら、それは絵解きでしかない。まったく違うものに作り変えた上で、値打ちが生じるということに成功した。ある意味ではとても珍しい例だと思います。

――――あるインタビューの中で、スファールが面白いことを言っているんですけど、小さい時から絵を描くのが好きだった。自分は比較的社交的だったけど、でも絵を描き始めると何時間でも座って描いていて、それも一枚一枚ではなくて続きもの風に描いていく。一枚の絵を描いて次がどうなるか分からないのに、ペンの先から次の話が生まれてくるのが面白かった。最初から最後まで話の筋を作っておいてそれを絵に置き変えるというのではなくて、何か躍動して出てくるのが面白い、という風なことを言っています。

そこで彼が引用しているのが、マルク・シャガール(1887~1985 フランス)というロシア出身のユダヤ系の画家がこう言っているんです。
「村の人達をみんな額縁の中の安全な所に入れたい」
それがシャガールが絵を描いた動機だっていうんですよ。あの頃、ロシアの田舎の方にいたユダヤ人というのは、何かというと迫害されました。ポグロームって言いますけど、よくいじめられたりしていました。そのことを意識して、シャガールは描いたのだと思うんですけど、絵の中で人々は幸せそうにしている。シャガールの絵と言うのはキツイところがなくて、誰もが幸せそうな優しい感じの絵です。特に奥さんを描いたものはまさにハッピーハッピーという感じなのだけれども、それは、村の人たちを額縁の中の安全な所に入れたいというシャガールの想いから出てきた。スファールがそれを引用しているということは、スファールにも同じようなところがあったのかもしれません。

――――『星の王子さま』については、スファールは「神なき神秘」、「絵による宗教」だと解釈しています。サンテグジュペリが生まれた家はカトリックでしたけど、そのことは直接は作品の表面に出てきません。
サンテグジュペリの思想というのは、もう少し静かに深いところで人間には信仰が必要である、あるいは、超越的なものに対する信頼が必要である、それがあって人は良く生きていくことが出来る、というものだったと思いますが、スファールはそれを評して、「神なき神秘」、「絵による宗教である」とした。
つまり何か偉大なものへと身を委ねる姿勢といいますか、それが例えば、王子さまがキツネから教わる「大切なものは目に見えない」という、物質的な世界の背後に、もうひとつ意味の世界があって、それが大事なんだという考え方のひとつの表現だと思うんですね。サンテグジュペリのエッセイのひとつに 『人生に意味を』という作品があります。人は機械的に生きるのではなくて、それぞれの人生に意味がなくてはならない。あるいは、『人間の土地』の最後に、神様は人を粘土で作って、息を吹き込んで命を与えた。「精神の風が粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」(堀口大学訳)というような言い方をしている。

精神性、意味、生きることの物質界を越えた意味づけ、そのあたりでスファールはサンテグジュペリに深く共鳴したんだろうと思いますね。

――――この『星の王子さま』を書いた頃、サンテックスは非常につらい思いをしていて、それは個人の生活というレベルではなくて、もっと大きな…世界大戦が起こって、そこでモノが壊され、人が殺され、みんなが酷い目に遭っていた。そういうどうにもしょうがない世界全体の在り方に対する絶望みたいなものに囚われていた。
だから、ともかく戦争は終わらせなければいけない。そのために自分は見ているだけではいけない、戦争に参加しなければいけないと考えていた。結局、ナチス・ドイツを倒すまでは戦争が終わらないことはわかっていたわけですから。

――――しかし、このとき既にサンテックスはもう若くなかったんですよ。
戦闘機のパイロットなんかは、20歳代半ばがピークであって、その後はとてもついていけないんですよね。だから30過ぎたら普通は引退するというか、基地に残る側に回る。
ところが、サンテックスはなんだかんだと政治的圧力を使って、ともかく乗せろ、飛行機を飛ばさせろと言って乗る(だから偵察機だったんだけれども)何遍も何遍も年齢制限を誤魔化して飛び続けた、そして最後には帰ってこなかった
―――

――――そういう時期だったから、星の王子さまには、祈りというか、普通の平和の時代に戻さなければいけないという想いがとても強い。
それが良きメッセージとなって、こういう本になった。
だから、ただの子供向けのおとぎ話ではなくて、むしろ、大人になって読んでも、どこまでいっても読み終わった気がしないような話になったというのは、おそらく、そのせいだろうと思います。

――――彼自身、カトリックというフレームには寄らなかったけれども、宗教的、超越的な思想の持ち主で、これはあんまり人が読まないんですけど、晩年ずっと一人で発表のあてもなく書いていた『城砦』という神秘主義的なエッセイがあります。城砦(シタデル)というのは砦ですね。人は自分の精神を守るために砦が必要である、という……。
それは一人の砂漠の民の指導者、族長の想いを綴っているんですけど、どちらかというとカトリックというよりもムスリムに近い思想で、大変美しい散文です。日本語の全集も出ています。みすずの全集で全3冊あります。『城砦』を書いているのと『星の王子さま』を書いているのとをほぼ同時に行っている。その祈る姿勢に対する共感というのが、スファールを動かしたんでしょうね。

 

サンクチュアリ出版 年間購読メンバー クラブS

サンクチュアリ出版 年間購読メンバー クラブS マイページ

© sanctuary publishing inc .all rights reserved このサイトに掲載している記事・画像等あらゆる素材の無断転写・転載を禁じます。